元での工務店で建てた家
別冊 住まいの設計 No.236
2018年
 東日本版

Special Interview

とうぎ建設代表・當木裕之氏が語る
広い視野と伝えるべき心を持ち、
家や職人のあるべき姿を追う
 

 

INTERVIEWR:住まいの設計編集長 丸洋子様

家を建てる際に迷うのは、誰に建ててもらうか。デザインや住宅性能、 技術力はもちろんだが、忘れてはならないのは人間的な要素。この先の長いお付き合いを考えると、ぜひとも信頼できる工務店に依頼したいものだ。
工務店を選ぶときの判断基準の中に、工務店の社長があげられる。家づくりの姿勢や会社の運営ポリシー、あるいは人柄などに共感できるかどうかで、 幸せな家づくりが決まってくるはずだ。

・・・・と、社長インタビューを受けました。

 

 私たちの 誇りは 
嘘のない仕事をすることです。 
 當木 裕之

父の跡を受け継ぐ心と 新たな志を胸に 家業を深化させていく
 1955年に先代の父が創立した「とうぎ建設」。 その2代目となる當木裕之氏は、 高度経済成長のさなかに産声をあげた。
「父の手伝いで印象深いのは、小学3年生の頃のことです。職人さんは多かったけれど、引渡し前の物件を掃除する人が足りないと連れ出され、 『お前、ここを掃除しろ』と。 父が怖かったので言われるがままに掃除しましたが、大きな倉庫だったので朝から晩までお昼も食べずに掃除しました。 僕は3人兄弟の末っ子ですが、 兄たちもほかで掃除していたと思います。」 一見、先代は厳しい人に思えるが、その一方で、「将来は好きな道を進め」 と、深い愛情も示していた。
 やがて當木氏は、 日本大学工学部建築学科へ進学し、デザインや設計に寄与する人間工学を学ぶ。 「思えば就職活動あたりから、家業を継ごうと思っていたのかな。兄は別の道を歩んでいたし」 と、 建築全般に関われるハウスメーカーへ。そんな彼を本気にさせたのは、会社の先輩に誘われて見にいった建築家・内井昭蔵氏の建物だった。 その住宅に感銘を受けて以来、 建築の勉強に打ち込み、設計や現場監理などの経験を積んで29歳で大工に転身。 「僕が35歳の時に父が亡くなり、跡を継ぎました。結局僕だけが父の後を追っている」と不思議がる。
 その1年後に、一級建築士になることを決めて免許を取得。 「建築家のデザインという職能だけで生計に憧れもしたけれど、工務店の先輩は温かく、視野が広いにもかかわらず、偉ぶらない人が多い」 と、 その人間性を尊敬し、自身も設計から施工まで一貫して行うとうぎ建設の枠を高める道を選ぶ。

 

建主が心から望む住まいは互いに高め合うことで見えてくる
 建主にとっていい家とは何かを追求する代表の 家づくりの姿勢は独特だ。  敷地の解読方法など一つひとつ建主に説明しながら進めていく。 ときには建主が決めかね、プランが止まることもある。 「自分が暮らす家だから悩んで当然。 僕は工事が始まっても引き渡しまでずっと打ち合わせます。 それも建主さんがイメージしやすい現場で」 と、建主が納得して進められるよう説明と同意を繰り返し、工事中の変更にも実直に対応する。 さらに”檜は堅い木”などと 建主に誤解があればそれを解き、素材など家のことを知ってもらうことで、家づくりをもっと楽しめるようにと願う。
 「自分の家をつくっていることを自覚している建主さんは、自発的に家のことを勉強されます。  そうした方とは、二人三脚のように進められ、理想的な関係になれる。 僕が建主の支給品を歓迎するのも、そこに理由がある。 なぜなら建主さんが自主的に参加されているからです。 正直、取り付けなど面倒な 面もあるけれど、思いに応えられるならそれでいいんです。 もちろんメリットデメリットは話します」 と、手は抜かない。
 完成後のオープンハウスでは、建主が自邸について話す機会がある。  「悪いこともよいことも話してほしいとお願いしますが、気を使ってくださるのか、いい話が多い。 でもね、愚痴は言いたい放題。 そんなに安くないとかね」 と苦笑い。 それも建主との密な時間が築いた賜物のひとつだ。
 また、家づくりと真摯に向き合うゆえに心に重くのしかかるのが、現代の住宅が見失ったもの。 「照明をつけずとも明るく、冷・暖房を入れなくとも暖かく涼しい家はつくれます。 日本の家はそう考えられていました。  しかし今は、政府の指針で負荷をかけない(ZEH、長期優良、低炭素)住宅を推進。 これはやりすぎに思えます。 それほど費用をかけずとも住みやすい家はつくれます」
 この憂いが自然のポテンシャルを 生かした家づくりへと代表を突き動かす。

意識を高く持ち、学び、挑戦し続けることが、よりよい社会の一歩に
 欠陥住宅が大きく取り沙汰される20年ほど前までは、ただ自分の道を信じて自分の道を 突っ走ってきた代表だが、その頃、あるNPOから依頼があり、建主を守るための正しい家づくりのあり方を学び、広める活動を始めた。
 「解体だけを請け負う工務店などとの違いを明確にするべく、匠の文化を継承する自覚を持ち、技術と嘘のない仕事を誇りに地域の家を設計・施工し、地域活動に参加する工務店を 『地の家』 と呼ぼうと。 金・モノといった利益ではなく、日本の家づくりの理念を広める活動です。 ところがこれが難しい」
 そうした中、建築組合の活動にも携わり、組合員を取り巻く社会について学び、建築と社会の関係も考えるように。
 「職人さんが大事にされない現代において、現実を直視し、意識を変え、どうすべきかを職人さんにも考えてほしいのです。 腕がいいのだからもっと誇りを持ち、自分の足で立ち上がってほしい。 『そのためには何をすべきかを考えよう』 と話すけれど、思いがなかなか伝わらない」
 その難しさに直面した頃、 イシキカイカク大学の存在を知って受講を。 「人の心をこれだけ動かす話をできる人を目の当たりにし、思いを伝えるには様々な知識が必要だ」と痛感。
 「今も建築や社会の仕組みを勉強しています。 それは、意識を高く持つことの重要性を知ったから。 そういう人たちといると元気をもらえ、気持ちを高揚します。 人生、笑顔で暮らせればいい。 しかし、みんなが笑顔になれる世に、どうしたらできるか。 それを考えて行動しています」 家を取り巻く社会にまで思いを馳せながらの学びは続く。
 たまの休日には、趣味の神社仏閣巡りやバイク、滝行などをするという當木代表。 将来は「ニコニコしたおじいさんに なりたい。 人が寄ってこないと寂しいから、人が集まるような知恵者になっていないとね。 そのためには、意識を高く持って勉強しないと。 知らないことを知るのは楽しいですよね。」 朗らかに語る視線の先には、 明るい未来が見えていることだろう。